「燃え尽き症候群」にならない為に

ジョコビッチに何が?!

先日のテニス「全豪オープン」で、あのジョコビッチがあっさり格下の選手に敗れました。試合は観てませんが、あの「ジョコビッチ」が確か世界ランク117位の選手だったと思います。

テニスは格差のあるスポーツですから、プロとして「食べていける」ラインは100位あたりまでだそうです。これを大相撲に置き換えると「横綱」が「幕下」に負けた様なものですよ。

いくら「不覚を取った」にしろ「有り得ない敗戦」と思います。昨年の夏場頃から、明らかに「王者に異変」が目に付く様になってきました。

もちろん、ここで技術的な事を述べるつもりはありません。私は今もジョコビッチが「世界No.1のテニスプレーヤー」と思ってます。従って必ず復活すると信じていますが、気になる点もあるのです。

言うなれば「王者として君臨し、全てを手に入れた」故に「目標を失ったのではないか?」という「精神的衰退」ですよね。それだとしたら、少し厄介かなと感じるわけです。

また、ある程度の「達成感を得た人」なら、必ず襲ってくるのではないかと?
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達成感は「退化の始まり」

スポーツの様な世界だけに限らず、一般の社会、生活においても「何かしら課題や目標」が存在するんです。中学生なら「高校入試」夫婦なら「子育て」営業マンやセールスレディは「契約件数」等々ですね。挙げるとキリがありません。

普通は課題や目標をクリアすると「次の課題や目標」があるんですよ。そして、また取り掛かっていくのが人生のスタイルと呼べるでしょう。

「やり尽したという終点」が見えた時、精神の維持が難しくなってくるのです。一般的に(終点が)見えそうになった時点で新たな目標、課題を設定し(終点を)延ばす。これが本能として動くわけです。

それが、いきなり「終点」に辿り着くとガクッとなるのです。また「高齢化」に差し掛かると、この状態に陥りやすいのです。

仕事も定年でリタイアし、子供は全て独立。後は年金でのんびり暮らすだけ。

まさに理想的な人生と思うのですが、課題や目標を敢えて「刺激」という言葉を使わせて頂くと(この刺激が)失せた時、老化が進み認知症のリスクも高まるのではないでしょうか?
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少し足らないくらいが良い

ジョコビッチに話を戻しますと、彼は「燃え尽き症候群に陥ったのでは?」と言われてます。もちろん、そうではないと信じたいのですが…

実際、多少は「燃え尽き感」は否めないでしょうね。これを私達に当てはめると本当に他人事で考える話ではないのです。

私の叔父は某大手企業を退職金上積みの「早期依願退職」で辞めてから、経済的な心配も無く気楽な生活を送ってました。

しかし、それから僅か2年足らずで「認知症」を発生。楽しいはずの老後は暗転し、大好きな「阪神タイガース」が18年振りの優勝(2003年)を果たした事すら認識出来ない状態だったのです。

決して、それだけが認知症の原因と断定しません。それでも「達成感」で心に穴が開いた状態になると、まさに「脳からの指令」すら伝わらなくなるのです。上手く表現出来ませんが「覇気の無い状態」でしょうか。それが見えざる「ネガティヴパワー」となり、本来の能力や機能を「退化」させる。

「頂上」に到達する事は、素晴らしいと思います。しかし、人間は常に「進化」を心掛けないといけない「仕組みにプログラミング」されているんですよね。従って「達成感を得て満足」するという事は「脳からの指令を伝えるモーター」を止めてしまうのです。

「もういいや」て感じですよね。

そうならない為には、少しぐらいじれったい方がいいかも知れません。理想は「終点がすぐそこに見えてるのに到達出来ない」て状況です。頂きの風景は見えなくても、高齢者に進む上においては良い事かも知れません。

テニスで例えるなら「ジョコビッチより錦織圭」が理想と思います。


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