1世紀以上生き抜く人たち

高齢化は必ずしも「非」ですか?

「敬老の日」ですね。「高齢化社会へのポジティブログ」をテーマにしてる手前、今年は特別感じるものがあります。父親も元気ですが、ドップリ高齢者ですからね。それにしても年々高齢者の数は増えていく一方です。お爺ちゃん、お婆ちゃんには長生きして欲しいと思いつつも、裏側に潜む「複雑な感情」これが綺麗事無しの(日本の)現状なんですよ。

当たり前なんですが、年齢比率のバランスが崩れてる事が大きいわけです。生誕率が下がり子供の減少に歯止めがかからず、医療技術の発達等もあって高齢者の寿命は延びました。必然的に「頭でっかち」の年齢分布図になります。

それでは「少子高齢化」の逆をいく「多子低齢化」を目指すのでしょうか?

答えは「NO」です。

低年齢層が増えると「人口減少」は防げるでしょう。また労働力の活性化に伴い生産性も上がると思います。よって「経済」は向上するかも知れません。

しかし、考えの未熟な低年齢層が増える事は逆に治安の悪化や教育の低下に繋がるリスクを孕んでいるんですよ。

従って「少子高齢化」を悲観するよりも、まずは「年齢比率構成」の正常化を目指す事が大切ではないでしょうか?

また「高齢者にしか持ち得ない経験と知恵」は何事にも代えがたい財産ですし、下の世代にとって必要な物なんです。スポンサーリンク


「天国」は遠くなりにけり

100歳を越えられる高齢者の方が前年より4124人多い6万5692人に達するらしいですね。

本当に「1世紀」生き抜くって凄いことですよ。私もやっと半世紀生きましたが、まだその「倍」ですからね。それでも100歳の方は「大正生まれ」で「明治生まれ」となれば若くて104歳ということです。いくら高齢化社会とはいえ、ゆっくりと「時代」は動いてるんですよ。

「長く生きる」という心境って、どんな感じなのでしょう?

個人差にもよると思いますが、身近な父親を見てると「上手くストレスを消化させてる」印象がありますね。医療の進歩等で「簡単に死なない時代」にもなったと言えます。

しかし、同じ「生きる」にしても「生かされる」のとでは全く違う意味合いになってきますから、高齢者の人口全体で果たしてどれだけの方が「生きている」のか?生かされる晩年は本人はもとより、家族も辛いわけです。

確かに「天国」は遠くなりました。

問題は、そこに辿り着くまでの道程が有意義であるかという事です。
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1世紀生きたいですか?

100歳以上の方が増えてるとはいえ、年齢が「三桁」になるのは簡単じゃないですよ。これは「甲子園に出場か東大受験に合格」と匹敵するんじゃないですか?個人的には素晴らしいことだと思います。

「8000m級」の山の山頂に達したも同然ですからね。私も想像がつかないんです。

実際に100歳まで生きないとそも「頂」は見えないから軽々しく言えません。それでも「生きれる」とするならば、自分の歩んだ100年間をじっくり振り返りたいですね。だって人生そのものが「歴史」であり、教科書に載るような出来事ですら「リアルに目撃」してるんですよ。

これって凄くないですか?

ただ個人で回想するだけでは勿体無いですよね。誰かが聞き手になり「歴史の生き証人」の「リアル話」を聞き止めて、後世に残していくべきだと思うんです。

それでこそ「ONE CENTURY LIFE」の価値が出るんじゃないですか?

人の寿命だけは希望だけで何年生きられるか分かりませんし、これだけは古い言い回しですが「お天道様」が決めるのです。ただ生まれて、この世に出たからには最後まで「生きていたい」のが本音です。

「未来の自分」は元気ですか?元気である為に「今日」を無駄なく生きる。

その延長線上に「ONE CENTURY WAY」が続いているのかも知れませんねぇ…
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