「プチ認知症」が放置される

高齢者増の陰に隠れて見抜けず

道路交通法が改正され、75歳以上のドライバーに「認知症検査」を厳格化されることになりました。これは現在問題になっている「高齢者ドライバーによる交通事故増」によるものです。

犠牲者が出た後なので、遅きに失した感もあります。それでも「規制の手を打つ」事は大きな一歩評価したいと思います。

個人的にも最近は「稚拙な運転」をするドライバーによく遭遇します。その大半が高齢者なんですね。技術もさる事ながら、判断力の鈍さが突出している様に見受けられます。

「交通死亡事故」に至らなくても、何らかの事故や被害に巻き込まれるリスクは増えています。確かに「高齢者」が全てとは断定しませんが、リスクの一つである以上は減らすべきだと思います。

そして、高齢者運転で恐ろしいのは「認知症状態の人がハンドルを握ってる」という事実なんですよ。

これは「自分が殺人者」となっても、その自覚すら認識出来ない事を意味します。そんな(無自覚な人が年々増加している)現在に対峙しないといけないんです。
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凶器を操る「無自覚者」

認知症とは、特定の病名ではなく「アルツハイマー症」等による「認識力が低下」している総称の事です。その状態も「軽度から重度」まで幅広く、当然「介護」が必要になります。

「認知症のドライバー」というショッキングな現実を考えると、軽度の認知症の方によるものと思います。しかし、認知症の軽度は「線引きの判断」も難しいわけなんです。

つまり「認知症」でも「現実を認識する能力」が完全に消えているわけではありません。少しずつ「フェイドアウト」する様に進行していくわけですから、この「現実」が多く残っている人が危険と言えます。

その境目は「自分」しか分からないわけですよ。そして、いつもの感覚が少しずつ崩れていく事を理解出来ない。つまり「ジャッジ出来る人」が近くに居ないと、そのまま日常は進んでいくのです。

正しく判断出来る能力を、削ぎ落とされた状態にも関わらずです。その結果が「悲劇」への引き金になるわけで、当然運転をする高齢者も自覚はありません。

自分が「凶器」を操っているという現実もなく、そこにあるのは「薄っすら残る記憶」だけと言えるでしょう。
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孤独高齢者を徹底保護すべし

高齢者の割合が増え、それに伴い「管理する」にも行き届かない現実があるのです。私も父親と離れて暮らしていますし、丸投げ状態なんですよね。

しかし、経済的や物理的な問題もありますので(高齢者には)極力頑張ってもらうしかないわけです。残酷な様ですが、監視しながら放置せざるを得ないと思います。

高齢者の方も現実を理解されています。従って極力「自分の事は自分で」頑張ろうとされるのです。その延長線上に「悲劇」が発生し、容疑者に祭り上げられたとしても責められないですよ。

無理をしながら、知らぬ間に「認知症」の症状が発生してるケースもありますからね。本人に自覚はなく、身内も気付く余裕はない。しかし、今のままで「悲劇」が減るとは思いません。逆に増えつつあると思います。

道路交通法の改正はタイムリーな事ですが、それは「交通」という枠での対策なんですよ。やはり「認知症」という現実に国が向き合って、広義の対策を立てて欲しいですね。

歳を取れば、自動的に面倒を見てもらえる時代ではありません。そこに何らかにメスを入れ、無自覚に生活する高齢者を保護する事が急がれます。

また闇雲に憂うだけではなく、高齢化社会はポジティブに解決していくことを望みたいんです。一方的に「姥捨感覚」ではなく「共存」していく方法が求められるのです。
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