介護する側から介護認定を受ける年齢になった時考える事は?

健康体で人生を終えたい

私には高齢の父親がいます。一人暮らしで、幸いな事に元気です。しかし、いつ「ガクッ」となるか分かりません。手術も二度受けてますし、衰えは感じます。

いくら「元気でやってるよ」と聞いても、心の何処かで心配はあるんです。こんな私と同じ状況の方は少なくないでしょう。

できたら、介護をする事なく最後までいって欲しいのが本音です。これは父親も同じ考えだと思います。その為には毎日の過ごし方や食生活が大事なんですよ。

人間、亡くなる時は事故等を除いて「身体の機能が致死状態」に作動するのです。

これが「癌」等の病気であり、老衰にしろ静かに機能が止まるわけです。しかし、そのランディングだけは周囲に迷惑をかけたくないですよね。

人間誰しも「介護生活」を望んでいないですよね。それでも介護される身にならないとは限らないですし、少し「自分の人生を進めて」考えてみたいと思います。
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まず「遺言」を書き出してみる

人生50年を過ぎた者として、やはり「この先」が非常に心配なんですよ。もう、あっという間に60代70代がやって来ますから「時間を大切」にしないといけないんです。

もちろん、自分自身が「介護生活」にならない為に最善を尽くす必要はあります。しかし何が起こるか分かりませんからね。

健康に気を付ける事は当然ですが、それ以外にも「準備」を怠らない様に対策を講じたいわけです。

基本的に「介護状態」とは「生きていくのに助けが必要」な状態を指しますよね。

つまり「自由の効かない生活」を覚悟しないといけません。従って、今のうちから家族(他に親しい知人等)に「メッセージを書いて残しておく」事をしませんか?

 

早い話が「遺言」に近いんです。

 

公証役場に届け出る様な、正式な「遺言状」ではありませんよ。もちろん(正式な遺言状を)作成されても構いませんが、何よりも自分が動けなくなった時、家族(若しくは知人)に託したい事を書き綴っておくのです。

死んでもいないのに「遺言」とは、些か矛盾してますが、認知症等で意思の疎通が困難になるケースもありますからね。何も遺産だけに拘らなくもいいのです。

今や「ID、パスワード全盛」ですから(自分名義で登録しているものを)解除する方法を書き出しておく。

 

これだけで、家族は随分助かりますよ。

 

つまり「遺言」という形を取る事によって、有事に遭遇しても周囲が混乱したり、困らない様に最善を尽くしておく事を提案したいのです。
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毎日を「咀嚼」する様に過ごして「記録」する

現役を離れて余生を送り始める。基本的にここからが「高齢者ライフ」のスタートと言えます。一般的にも70代に入ってからですよね。

そこから「「介護生活」に直ぐ入るわけではありませんし、入るとも限りません。しかし「高齢者の範囲内」に踏み入れてるのですから、この先の考慮はすべきだと思います。

また、どこで状況が変わるかも知れません。極端な話ですが、毎日が「介護審査」なんですよ。

日々の暮らしを鑑みて、普通にいつもの生活を送れているか?一日のスパンで測ってみて、滞り無く過ごせたら「10点」という調子で、点数を付けて記録する様にします。

その上で生活に「いつも通り進まない」「いつもの様に出来る事が厳しくなった」という変化が生じれば「減点」とします。

 

つまり「自分自身のチェック機能」ですね。

 

毎日の変化を「点数化」する事により、変化を一早く見つけられる様にします。チェックは自身で行う事が理想ですが、家族でも構わないと思います。

変化を未然に見抜く事により、ダメージの軽減にも繋がりますし、介護生活を避けられる(或いは遅らせる)可能性もありますからね。

少し面倒かも知れませんが「高齢者ゾーン」に突入すれば、打てる手段は打っておいて損はありません。

「介護される立場」に、いつかはなる。それを前提として、色々考えてみてはいかがでしょうか?
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