
父親を見て感じるんです
私の母親は7年前に亡くなって、以来父親は「一人暮らし」を続けています。母親が亡くなるまでの3年間は、父親も「老々介護状態」で部屋の中も散らかってたんですよ。こちらも面倒が見きれない分、たまに掃除や片付けにも出向きましたが…
そんな父親の家が垢抜けてきたんですよね。男性の高齢者は「物を捨てない」じゃないですか?私の父親もその典型でしたが、ここ数年は整理されて無駄な物が片付いているわけです。
また「寂しい」と私の家にもアポ無し訪問する事が多かったのですが、それも無くなりました。来なくなったどころか、毎年恒例の「新年の挨拶」ですら、
「来なくていい」と言ってきたんです。
いくら何でも「母親の仏壇に手を合わせたい」ので、迫っても取り合ってくれず(仕方ないので)元旦の訪問は断念せざるを得なくなりました。
しかし、理由はすぐにわかりましたよ。つまり父親に「彼女」と呼べる存在が出来たからなんです。
もちろん相手も高齢者の方ですが、妙にウマが合う様でお互いの家を行き来してるらしいんです。元旦も父親はその相手方の家へ遊びに行く為、私達の訪問を拒んでたわけですよ。
しかし、父の様子を見てると「張りが出て」きた様子なんです。その「相手」の方の存在が(父親を)生き生きさせてくれるなら、私は何も言うつもりもありませんし、寧ろ歓迎すべき事かなと感じましたね。
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高齢者の恋愛は気持ちを若返らせます
父親の場合で見ると、相手の女性はかなり前に離婚されてるそうです。3人の息子は既に独立しており(父親と)同じ市内の公団住宅に一人暮らしと、環境が父親と似ているのです。
お互い「酒好き」で市内の小料理屋で打ち解けて今に至ってるとの事。まぁ良き「飲み友達」みたいな存在ですね。飲むと言っても、高齢者同士ですから決してヘビーではありません。
時間も空いてますから、好きな時に会って酒を酌み交わしています。私も「母親が亡くなった途端に」という固い気持ちもありませんし、父親も相手の方も楽しく過ごせてくれる事に満足しています。
何よりも「いい刺激」になりますので、動きも活気があるんですよ。また肌のツヤもよくなって、風邪一つ引かない状態ですね。自分の父親を例に挙げるのは恐縮しますが「パートナー」は人生において必要と実感しました。
「結婚しない若者たち」について、意見を述べた事がありますが、少なくとも「パートナー」は見つけるべきだと思います。
やはり家の中でも「コミニュケーションを取る」事により、体内の細胞も活性化してくるんですよ。とくに高齢者は「孤独感の解放」という要素が大きいと感じましたね。
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交流の場を増やして暖かい晩年を
高齢者の場合は「再婚」とか、大掛かりな発展まで至らなくていいんです。本当に軽い「友達」の延長で付き合って十分に潤いますからね。また籍を入れると、どちらかが亡くなった時に(遺産等の問題で)却って揉めるだけなんです。
あくまで「人生最後の良きパートナー」という位置付けが、ベストだと言えるでしょう。
父親の場合は、相手の方と共通の楽しみ(お酒)から気が合って今に至ります。従ってお互いの趣味や楽しみを共有出来る方がいいと思います。幾つになっても「自分の趣味」は続けていきたいものですよね。
以前から小耳には挟んでいましたが、父親の様子を見て「高齢者恋愛」は間違いなく「プラスになると確信」しました。
それならば、出会いの場ですよね。いろんな趣味や楽しみを持っておられる方がいますので、そんな方々が集まりやすい様にサポート面での充実を増やすべきですよ。
毎日を生き生きと過ごして頂く為にも「恋愛のススメ」は、高齢化社会における新たな活力になると思いました。このジャンルに関しては、まだまだ構築していく余地がありますよね。
活性化した、刺激のある日々を送る事は、認知症をも遠ざけると思います。恋のチカラは何歳になっても廃れないモノなんですよ。
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