
高学歴は勝ち組ですか?
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「出来が悪い子」を持つ親の僻みではないですが、最近の「高学歴賛辞」に疑問を呈します。
そこまでして「偏差値」は大事ですか?
テレビでも「高学歴タレント」が幅を利かせる様になり「学歴」も一つ「ブランド」と化して風潮になってますよね。
この流れが「子を持つ親」に押し寄せて来てるわけです。
「学習塾」は乱立している以上に…
必ず「A高校50名合格」と有名進学校への実績がデカデカ貼り出されてますよね。
其処彼処の塾から「合格者」を出す「A高校」って…
「どんだけ生徒おるんじゃ?」
と、突っ込みを入れたくなる様な「超マンモス校」になりますよ。
そんな「メガキャパシティ」を誇る高校ってあります?
早い話が「水増し報告」してるわけです。
「少しは偏差値の高い高校へ」という風潮は昔からありますが、最近は「勝ち組・負け組」の線引きが明確化されてますよね。
テレビだけではないですが、最近は「高学歴賛辞」の報道が著しいと思うのです。それに踊らされて、猫も杓子も「学歴社会」に縛られる。
「勝ち組」はますます勝ち誇り、一方の「負け組」の心は蔑んだものとなるでしょう。
これでは「子供本来の伸び伸び感」は育まれません。
本当に「高学歴」は「必要なツール」ですかね?
大切なのは「好きな事」を伸ばす
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「点数」「偏差値」に縛られると、出来不出来に関わらず「数字で人の価値を測る」人間になりますよ。
つまり…
「数値の高い人が好い人」と認識する様になっていくのです。
私達の頃も「数字の縛り」がありましたが、まだ逃げ道も存在したわけです。まだまだアナログの時代で、趣味や娯楽にも「人間味」が溢れてましたからね。
しかし、今や「逃げ道」すら精神的なゆとりを与えられなくなってます。
全く余裕がないんですよ。
こんな「常識」に乗せられて人生を送る事が「子供の幸せ」と呼べるのでしょうか?
それならば…
常に「競わされ、数字で価値を決められる子供」を開放させてあげませんか?
好きな事、興味のある事のバックアップを親が(アシストする方向で)進めてあげるのです。
「勉強が出来ない」から放置するのではなく、まず「約束事を決めて」子供に(好きな事を)打ち込ませてみましょう。
例えば「ゲームや漫画等の遊ぶ時間」はあくまで(時間を設定した)範囲内に制限するルール作りをします。その上で「興味ある事、好きな事」に関しての情報を率先して流してあげるのです。
もちろん「強制的に向かわす」事はNGです。一つの事に捉われず、色んな選択幅を持たせる方が「視野」も広がりますからね。そして子供なりに「自分の引出し」を増やしていくと思いますよ。
スポーツでも音楽や美術、または電子機械に服飾デザイン関係etc…と多岐に渡り「好きな候補」は存在します。
それらを少しでもいいので「触れさせて」あげましょう。
子供に「自信」を植え付ける
「勉強が出来ない子供は落ちこぼれ」
しかし、断言します。
最初から勉強が出来ない子供はいません。
「勉強の正しいやり方」が分からないだけなんです。
そして「落ちこぼれ意識」を取り外す事が大切なんですよ。
「勉強が出来ない=ダメ」と決めつけられる事は、子供の心まで傷付けているのです。あくまで「テストの点数が悪く」ても、それは…
子供の「能力」とは関係ありません。
そこで「ピリオド」を打つのではなく、ポジティブな基盤を作っておく事が大切と思います。また「勉強が苦手」としても、その中に「興味のある科目」や「好きな事に通じる科目」は必ず存在します。
メディア等で「スーパー中学生!」と取り上げられてる子供を見れば「親の心情」として「我が子」を(スーパーに)育てたい衝動に駆られます。
しかし、メディアで映し出される「スーパー中学生」と一線を画した育て方こそ大事なんですよ。
よく言われる「個性を伸ばす」とは…
子供に色々な可能性を触れさせ、且つ気付かせる作業でもあるわけです。決して「子供を比較」する行為ではありません。
もし「競争社会」に飛び込むのなら、それは子供が「自分の意志」で覚悟を決めた時まで待つ姿勢を通しましょう。
そして、親の「アシスト」として忘れてはならない事があります。
勉強なら「ランクを下げた問題」を取り組ませて、達成感を持たせるのです。その上で、たくさん(子供を)誉めてあげましょう。
それが「大きな自信」に生まれ変わります。
自信を植え付けた子供が、周囲の情報に振り回されず、自分の道を愚直に進む。ある意味「勇気」が必要なんですが、その覚悟を(親が)持つ事。
それこそ、子供を開放させる「キモ」だと思います。
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