カップ麺ばかり食べるバカ

駅前に屯する不愉快な集団

寒くなって、職場や外出先から帰ったら真っ先に「お風呂」に飛び込みたい季節です。とにかく冷え切った身体を早く「温めたい一心」なんです。それで、帰宅する際に最寄駅を降りて駅前の広場を見ると「暑くても寒くても」スクーターを留めてダラダラ過ごす若い連中。朝でも夜でも誰かしら同じ様なスタイルで集まってますよ。

髪の毛を染めて、何が面白いのか大声を上げて笑ったり誰か仲間を揶揄して騒いでますね。とりあえず、こちら側に迷惑をかけてはきませんが、環境的な迷惑と言えます。

もちろん、誰がとか細かくチェックはしてません。また同じようなのがコンビニの前でも屯してます。しゃがみこんだり、胡坐を組んで地べたに座り、カップ麺を食べてる光景を見ますよ。

そして、この連中は食べたカップ麺の容器を捨てずにそのまま放置して帰るんです。飲み残したスープを道に捨てて、一緒に吸った煙草の吸殻も同じ様に放置してますね。本当に見るからに不愉快な連中なわけです。

一体、何が面白いのか?それとも面白くないから屯してカップ麺をすすってるのか?いずれにせよ、こんな連中も高齢者になっていくわけです。考えただけでゾッとします。
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やはり化学に「やられて」るのか?

こんな連中の共通点が「カップ麺」なんですよ。別にカップ麺ばかりを食べ続けたからそうなったわけでは無いでしょうが、思わず「皮肉の一つ」でも言いたくなりますよね。

はっきりしてるのは「食」には無頓着なんですよ。つまり関心が無いわけです。そこまで頭が回らないと思いますね。残念ながら彼ら(彼女ら)はどういう教育を受けてきたのか?どんな環境で育ってきたのかは分かりません。ただ頭の中は全くの「無気力状態」で道徳性も社会性も欠けた状態であるという事ですね。

こういう「ドロップアウト」した若者は昔からいましたよ。しかし、昔は「社会や学校」に対する言われ無き不満を抱えて、それをぶつけてましたからね。善悪の判断は別にして。それが、今の「ドロップアウト組」は単なる「無気力集団」で私には「宇宙人」に見えてしまう時があるんですよ。

こういう連中に何か「救いの手」を差し伸べられますか?マトモな仕事に就けますか?せいぜい「働いた」としても「派遣止まり」で、すぐに嫌気が差して辞めてしまうんですよ。

嘆いてばかりでも仕方ありませんからね。一応「若者」である以上、一人でも「落ちこぼれた海」から救い出さないといけないわけです。確かに容易な事ではありません。昔のドロップアウターなら、反逆のエネルギーが正しいベクトルに向いた途端に「更生」して社会貢献してくれました。

それが、無気力極まりない今の「ドロップアウター」に期待出来ますか?彼らの食べ残したカップ麺の容器を見る度に暗くなりますよ。本当に「化学のチカラ」でいかれたのなら、同じ化学で何とか立ち直らす事が出来ませんかね?
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せめて「食」だけでも改善を

今のドロップアウターに共通するのは「無気力」です。やる気が無いから何もする気が起こらない。また「しんどい事、面倒な事」を取り組むのが面倒臭い。こんなところでしょうね。そんな連中同士が、お互いの「ポジティブな要素」を消し去ってるわけです。

はっきり言って「抜ける」事は「自分次第」と思いますよ。ダラダラ流されて、気が付けば40代50代に差し掛かっているでしょうね。現にそんな年齢で定職に就かず、家庭も持てない人は珍しくありません。

「そんな人生は嫌」だけど、何もする気が起こらない若者は「面白いと感じる」気持ちを呼び覚ます事なんですよね。

例えば彼らの常食「カップ麺」ですが、このカップ麺に「何か具材」を足してみる。或いは「カップから袋タイプ」に変えて、自分で鍋に野菜や肉を入れて作ってみる。

「結構イケるじゃん」となれば「モチベーション」が少しでも上がりますし、さらに美味しく作ってみようと「工夫する気持ち」が芽生えてくる。

これが「面白いと感じる」第一歩なんですよ。

「食」においても「湯を注ぐだけ」「レンジでチンするだけ」という簡素化された物が氾濫してますが、これはヤル気の無い「ドロップアウター」には逆効果と思うわけです。

彼らの中から一人でも、そんな泥濘から抜け出す「ヒント」として紹介させて頂きました。

もちろん「ドロップアウター」は食べ物で陥るわけではありません。抜け出すのは、あくまで「自分次第」であると付け加えておきます。
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