
「3・11」を前に考える
先日息子から「地震と震災の違いを教えて」と聞かれ、恥ずかしながら答えに窮しました。似ていますが、違う表現ですよね。大きい小さいの違い?なら昨年の「熊本」は「震災」と表現してないんですよ。
字の如く「災害に達したレベルなら震災」と言えますが、単に「地震」だけなら「微震」程度の認識ですよね。それを当てはめるなら昨年の熊本に起こった地震は「熊本大震災」若しくは「熊本震災」とすべきなんですよ。確かに「阪神大震災」「東日本大震災」程でないにしろ、かなりの被害と犠牲者は出てるわけですからね。
「地震列島」と言える上で生活を続ける以上、災害が出たレベルの地震は軽く見るべきではないのです。また、いつどこで「被災者」になるか分からないのです。
大きい被害が出ると「ワ~ッ!大変だ!」と国民は全て「ハザード・モード」に入るのですが、その反動も大きくて「災害疲れ」に陥るんです。すると途端に(災害に関する事から)遠ざかろうとするんですよね。
それが、被災地の温度差に繋がっていくわけなんですよ。確かにギャップをどう改善していくかも「課題」であると言えます。非被災者と被災者の意識の共有が望まれるところです。
スポンサーリンク
地震で問われる「対応力」
以前、災害に備えた「食」について書きました。もちろん、それも大切な事ではあると思うのです。しかし「地震だけは予測不可」にやって来ます。台風と違い「いつ来るか?」が全く読めないだけに、もっと大きな心構えが必要と思うのです。
はっきり言って「安全地域」は存在しません。どこが「揺れる」のか?これは神のみぞ知る状況ですからね。もちろん毎日ピリピリと警戒しながら過ごす事など出来ませんし、大切なのは「スィッチの切り替え」なんです。
起こる前に、あれこれと準備をしておくに越した事はありませんが「地震はノーガード状態」の時に起こるものです。はっきり言って「まさか?の瞬間」が最も多いんですよね。
はっきり言って「想像を超えるパワー」で襲って来られたら、ある程度の被害は出ます。寧ろ「ある程度」で済めばラッキーかも知れません。それぐらい「甚大な被害」を覚悟しないといけないんです。
従って、発生したら「非被災地域」が素早く「被災地域」を援助または救助出来るかに掛かっていると思います。この「連携」ですよね。また一人一人が、スィッチを「ハザードモード」に切り替えて動く。家族を守り、近隣の人との連携、そして高齢者や子供を優先に保護していく。この一連の動作をこなせる「スキル」を身に付ける事なんですよ。
スポンサーリンク
被災者には「新たな日常」を持ってもらう
「東日本大震災」の時、仮設に住まれてる方などにボランティアが「催し物」を開催して励ます映像を観ました。決して悪い事ではないですが、仮設に住まれてる方(主に高齢者)の目が「辛そうに」見えたんですよ。ボランティアの出し物に手を合わせていましたが、決して(目は)笑ってられませんでした。
正直、これは逆効果だと思ったんです。私が被災者なら「催し物」など参加しませんし、観る気も起りません。それなら同じ境遇者同士で「ボヤいてる」方が気も紛れますよ。
これだけは、どうしようも無いのですが「失った物」は帰って来ないんです。
まず、新たに「造り直す」事に目を向けていくべきでしょうし、ボランティアのイベントより「役立つ情報」が求められるんです。何をどうしたいか?と言えば「日常を取り戻す」しかないんですよ。
よく「住めば都」と言いますが、これは慣れない土地に越して来て「新たな日常を形成出来た」事を意味するのです。
従って、ボランティアは「日常」における情報の提供ですね。無理矢理「イベント」を開いても苦痛なだけですから。それより一つでも「日常の助けになる言葉(情報)」を発信した方がポジティブになれるんです。娯楽は黙ってても見つかりますよ。それなら、徹底的に「愚痴を聞いてあげる」方が有意義ですね。
簡単に触れさせて頂きましたが、これからも「震災」は起こりうるのです。単に「地震」ではなく「災害としての地震(震災)」は日本の何処かで発生します。この時にどう対応すればよいのか?頭の隅にでも入れておきましょうか。
スポンサーリンク