
防災を意識する時期だから考える
新年が明け、関西ではとくに「1.17」は重い意味を持つ一日となります。言わずと知れた「阪神淡路大震災」が発生した日ですね。あれから22年の月日が経ちました。そしてすぐに「3.11」もやって来ます。日本列島が「自然災害の多い島」という宿命を背負っていても、これら大きな震災による「教訓」は後世に活かさないといけないと感じる次第です。
さて、最近ではスーパーに行くと「乾パンやビスケット」そして「水」等が置いてありますよね。各家庭における「万が一に備えての非常食」です。とくに乾パンに至っては「普段食べないよなぁ」と心の中で呟いたりしてます。本当に「乾パン=有事の際の緊急食」というイメージが強いんですよ。
関西エリアに住んでますし、先の「阪神淡路大震災」に遭った人も職場には居ます。私は直接的な被害は無かったので、以前「体験談」を(被災した方に)伺った事もあります。
一言で言えば「水不足」が最も堪えたそうなんですよ。やはり「ライフライン」の最たるものは「水」なんです。これは実際に「災害の渦中」に巻き込まれた方の経験として聞いた話ですから間違い無いでしょう。
「飲む」だけでは無く、水は「使う」という機能も入ってますからね。もし「備蓄」されるなら「ウォーター・ファースト」でされた方がいいでしょう。と、言いながら私は何も備蓄していないのですが…
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緊急時の「食事情」は?
災害で家が「倒壊」や「火災」等で住めなくなった場合、近隣の学校体育館や公民館に避難して「非難所生活」を強いられますよね。そうなると「備蓄」してた「保存食や水」はどうなります?
大半のケースが「使えない」って事になると思うんですよ。確かに「備えあれば憂いなし」なんですが、今は周囲からのサポートがありますから「最低限の生活」は保っていけると思うんですよね。
災害規模の広さ、大きさでは「東日本大震災」が最たるものです。しかし、この未曾有の大災害でも「飢えで苦しんだ」話は聞いてません。全国から食料が送られて来ますし、炊き出しもあり、栄養面においては足りていた印象があります。また「阪神淡路大震災」の教訓も活かされたでしょうしね。寧ろ「東北地方」という「寒冷地」ですから暖房での「灯油不足に悩んだ」という話を「宮城県在住の方」に聞きました。
この100年間で最も大きい自然災害でも「食料不足」は聞かなかったわけです。確かに「緊急時には乾パン」となるところですが、実際には「食べる機会」って「災害時」でも少ないのではないでしょうか?
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「非常食」が必要なケースとは?
災害で「住む所」を失い、ストレスの溜まる「非難所生活」でも「食べること」に関しては心配要らないでしょう。仮に「住む所」が無事でも、緊急災害時には「配給」されますから「生命の保証」はしてもらえます。あくまで「最小限の」という「但し書き」が付きますけどね。
結局「スーパー」に売ってる「非常食コーナー」での「乾パンやビスケット」それに「水」を買わないのは「必要だけれども使う機会を得られない」と思うからなんです。もちろん、どれも「重要なアイテム」です。しかし、いつまで続くかわからない「緊急時生活」において役に立ってもせいぜい3日ぐらいでしょう。
また家屋の倒壊や火災に巻き込まれたら、結局「使用不可」ですからね。それなら保存食や水を備蓄する意味を持たないのでは?と思うのです。いくら保存が効いても「期限」はありますからね。言葉は悪いですが、災害時においては「宝の持ち腐れ」になる可能性が高くなります。
それでは「不要か?」と言えばそうでもありません。これら「非常食」は「海や山」において重要な存在なんですよ。まず携帯に適し、遭難時には本当に「生命を繋ぐ役割」を果たしてくれるんです。
従って「非常食」は決して不要ではなく、問題は「使用するケースに合わせた説明」にあると思うのです。確かに「いつ地震などの災害」が襲ってくるか分かりません。ましてや日本列島において「安全な地域」は皆無なんです。
しかし「もしもの為に」で「非常食」はあっても、特設コーナーにボンと置いておくだけでは「防災意識の向上」に繋がらないと思います。
「モノ」も大切ですが、まず災害における「心構えや知識」を一般に浸透させる事が大切じゃないでしょうか?
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