
若者の無気力化が生む悪循環
休日の早朝、近くのコンビニへパンを買いに行ったんです。まだ外は真っ暗で、気温も寒い中(コンビニの前で)胡坐を組んでカップラーメンをすすってる若者がいました。まるで正気の無い目付きをして、黙々と食べる姿に複雑な思いを抱きました。
おそらく、夜通し起きて屯してたんでしょうね。別に個人の自由ですけど、何かだらし無い生き方じゃないですか?若者が夜通し起きてワイワイ騒ぐ事は珍しくないですよ。それ自体を批判しませんが、キッチリ社会人としての責務は果たしているのか?
無気力にカップラーメンを食べる姿に、そういう雰囲気は漂ってませんでしたね。
世間や社会が悪いのか?本人が悪いのか?私は「後者」に責任があると思います。やはり(責任を)他人(もしくは社会等)に押し付ける生き方に、共感する要素はまるでありませんからね。自暴自棄になっても結果、自身の首を絞めるだけで、灯りすら点かない状態で推移してるわけです。
定職に就かず、適度に「派遣やバイト」の軽仕事をするだけで精一杯。先(未来)を見る気も無し。希望すら抱かずにダラダラ生きる毎日なんですよ。それが「カップラーメン」に凝縮してましたね。そんな悪循環が「国を先細り」させていくのですよ。
「彼ら」だけを悪いと決め付けませんが、高齢化社会を深刻化させる方向へ向かわせている事は確かと言えますね。
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じわじわ増える負担
はっきり言って「高齢者」に対する国の援助は削減傾向にあります。先日も実家へ行った際に父親と話をしてたのですが、ヘルパーが「要支援」になると来年から派遣されなくなるとの事でした。それだけ利用者が多いわけですが、実質「国側」も手が回らなくなってきているのです。
2018年度からの「介護保険・医療保険制度改正案」も如何に「負担を減らすか」という内容を盛り込んでいるのです。それだけ先細りしてる財源では、どうする事も出来ないのでしょう。極力、高齢者でも自立して「援助支援無し」でいって欲しいのが本音なんですよ。
それでも、まだ「今の高齢者」は恵まれているのかも知れません。辛うじてキープ出来る状況なんですから。
問題は「これから」の高齢者ですし、今現在の(コンビニで胡坐組んでカップラーメンをすすってるような)若者が高齢者になる半世紀以上先ですよ。更に出生者が減り続け、労働力も落ちた未来に国が「助けてくれる」と思いますか?
少しでも未来の自分を助けたいなら「考え方」を改めるべきですよ。今ならまだ間に合うと思いますからね。誰がどれだけ早く気がつくかでしょうね。やがて来る「苦難の時代」を理解しているのでしょうか?
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いつ「働く?」今しかないでしょ
カップラーメンをとやかく言いませんが、食事を「丁寧に取りなさい」と声を掛けたい気分ですね。やはり「お湯を注いだだけの食」を続けていたら「思考」も質素で貧相な内容しか浮かばなくなるのです。道端ですすって容器を路上に捨てる行為を続ける。もう無気力の極みの「愚かさ」ですよ。
社会生活に入る事を恐れ「勇気」を持てないんです。そんな若者が国の「戦力」に成り得るわけがありません。
また「高齢者」も人格のある方が減少し、自分の事ばかりを考える人が増えて「道徳観の崩壊」が始まります。既に始まってると言っていいですよね。世代間での「リスペクト」が皆無になり、ギスギスするだけの世の中が形成されてきています。また「世代間交流」すら無くなってきてるのが現状なんです。
「労働力」もこのまま推移すれば、国も「移民政策」を導入していくと思います。そうなれば、働くにも「外国籍を持つ人」に職を奪われる。そんな時代も現実味を帯びてきます。
そうならない為にも「現実と未来」を真剣に見つめていって欲しいのです。お湯を注いだり、レンジでチンするだけの食は便利がいいです。しかし、味には深みも無く冷めるのも早い簡素なものですよ。丁寧に一から作った「食」を食べることから学べる「何か」もあります。
私は、怠惰な生活を送る若者に一人でも多く目覚めて欲しいと願います。
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