
廃れゆく街
本日は「食」とは趣きが違うのですが、ある意味「高齢化社会」をネガティブに加速させてる「悪しき傾向」として緊急提言していきたいと思います。
「○○(スーパー名)△△店来年3月末で閉店」というニュースをよく目にします。これを読まれてる方も、身近な街で大型スーパーが「閉店」に見舞われませんか?
実は私の実家のある街も、駅前に二軒の「大型スーパー」が存在したんです。それまでは個人商店や店の集まった「商店街」を利用する形だったんですよ。しかし40年くらい前にドカンと大型スーパーが建設され、個人商店は大打撃を受けました。一気に「商店街」には閑古鳥が鳴き、店をたたむ所が続出。さらに二件目の大型スーパーが誕生すると、ほぼ壊滅に追い込まれました。
馴染みの深かった「八百屋」「魚屋」「豆腐屋」「肉屋」「乾物屋」そして美味しかった「揚げ蒲鉾の天ぷら屋」など殆どの店が消えたのです。
それでも「昭和の経済成長」という波が、哀愁を忘れさせ(みんな)大型スーパーへと足を運びました。
流れが一転したのは「、平成に入って「バブル崩壊」「リーマンショック」などで一気に逆風が吹き荒れてからですね。加えて少子高齢化が進み、街の開発も進まず人口も増えない状況へと陥りました。さらにスーパーの親会社そのものの経営が悪化。結果、これら負の連鎖が重なり、二軒のスーパーとも「閉店」に追い込まれました。
駅前周辺には「コンビニ」と「銀行」は在りますが、目立った商業施設は無い状態です。不便極まりない私の故郷は、ますます廃れていく状況なんです。
こんな街は、他にもたくさんあるはずですよ。
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地域一体化を無視したエゴ
スーパーだけでなく「百貨店」の閉店にも歯止めが効きません。一体どうなってるんですかね?
確かに「採算を取れない赤字店舗だから」という理由が全てと思いますよ。市場原理の法則に則っただけで「何も迷惑をかけていない」というのが立派な「言い分」なのでしょう。
「儲からないから店を閉める」のは、商売上では当然の事です。しかし「大型商業施設」を建設するという使命は、その地域住民にとって「生活の一部」に組み入れてるわけですよ。つまり、「街の一部」どころか「中心部」に位置する存在になるわけです。その店舗が「ある」という事実は街の命運すら左右するんです。
多くの「犠牲」を得て、地域に息を吹き込むように「建設された」という意義を理解してるのか?そして「梯子を外す(閉店)」事が、どれだけ街に「ダメージを与える」のか?
地域を無視したエゴに私は強い憤りを感じるのです。
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街が「高齢化」しない為に
全国各地の地方都市や郊外の街は、次第に廃れ始めてます。アクセスが悪い地域に至っては悲惨な状況なんですよ。もちろん、それらの原因を大型スーパー撤退に全て押し付けるつもりはありません。確かに(撤退される)下地もあるわけです。
しかし、学校もあり住宅地でそこそこ人口も見込める地域でも(駅前の大型スーパー閉店を)断行されてますからね。私の住んでる隣町がそうなんです。全く地域の事など考えず「企業の一方的な自己都合」で閉店されるのですから(地元は)たまったものじゃないですよ。
確かに地方の過疎化が進んでる地域は、また別の深刻さがあるのですが、わざわざ街を廃れさせる方向に持っていってもいいんですかね?
それだけ(大型スーパーを)建設したからには「地域住民の生活を担ってる」という「責任感と自覚」を持って欲しいものです。
少子高齢化という現実を「ポジティブ」に上手く活性化していく為には、街まで「高齢化」させてはいけないでしょう。何も大型の商業施設など作らなくてもいいんです。地域の人が買い物をしやすい「身丈に合った」環境を作ることが大切じゃないですか?
その為には「○○ホールディングス」みたいな巨大グループに頼らず、あくまで地域主導で地元の企業と提携しながら、街の再開発を期待したいんです。
マニュアルに沿った「冷たい街づくり」はいらないですよ。
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